寺西がいったとおり、新入団員というのは結構ハードなんだろう。いつもは真剣に授業を受けている滝田が時折、コクリコクリと居眠りを始めるようになった。けれど、彼の机は教壇の真ん前だ。わたしたちのように隠れて寝入ってしまうわけにはいかない。 寺西が寄り合いの内容について話してくれたことがある。それによると、寄り合いの最も重要な目的は花寄せといわれる寄付集めだ。午後七時に集合して約二時間、割り当てられた地域の店舗、一般家庭関係なくたずねて歩く。旧市内、自町他町関係なく。町内ならばそれほど問題はないが、遠く離れた和泉大宮、蛸地蔵辺りになると自転車を使ってでもかなりの距離になる。その後トレーニングと称してお城の周囲八百メートルを数周ランニングする。 山手にある滝田の家から宮本町まで自転車で半時間近くかかるはず。遅くに帰宅し、まじめな彼のことだからそれから予習復習に入るのだろう。眠たくなるのも無理はない。 「滝田、起きろ! 」 何も知らない教師は叱責を与える。 「は、はい! 」 「何寝ぼけてるんだ、顔洗ってこい」 沸き起こる哄笑。しかし、わたしは笑えない。 (滝田、必死なんや…) 何のために必死なのか。もちろん、わたしに好意を抱いてもらうためだ。けれど、いくら滝田が頑張ったところで心変わりするはずもない。 わたしは姑息な自分に憤りを感じた。滝田の情熱を簡単に引き受けてしまう祭りにも逆恨みした。 (まあ、当日になれば) 二日間で走り回る距離は、マラソンのそれに等しい。もちろん、休憩を挟み断続的ではあるが、綱を握り、引っ張り、常に全速力。ペース配分なんか考えるわけにはいかない。 (きっと、音ぇ上げるわ) わたしは広がる大空を窓から見上げた。ちぎれた綿雲が浮き、秋が訪れているようには見える。けれど、残暑はまだまだ続くだろう。三十度近くまで上がる気温の中で蠢く人間たちが滑稽にさえ思えてきた。それはもちろん、わたしも含めて。
しかし、滝田は変わった。 休み時間になると寺西と廊下で話している場面に出くわしたりした。別に寺西が滝田に食ってかかっているわけではない。それを証拠に滝田は笑顔すら浮かべている。 二人の関係は急速に密着し始めている。 「変なコンビやなぁ…」 朝子もそんな二人を眺めて言う。 「そやなぁ、変な関係ていわれてもしょうがないかもな」 放課後のハンバーガーショップ。わたしと朝子は寺西を連れ込んで詰問した。 「確かにな、ワイも嫌いやったよ、あいつのこと。いや、嫌いとこどうとかいうんと違て、目に入れへんていうか、意識せえへんていうか…」 「分かる」 朝子が言う。 「そやけどな、あいつ、一生懸命やねん。一番最初に来て会館の掃除とかしてんねん。集合時間の半時間前に来てな。同い年の奴にでもあいさつするし、敬語使うし」 「なんか、そんな感じする」 「それとな、試験曳き終わった後とか、他の町との交換会の後とか飲まされるときあんねん。ワイらええかげんになったら逃げるけど、あいつ、べろべろになるまで飲んでな。踊るわ歌うわ、大騒ぎや」 「へえ、人は見かけによらんなぁ」 「付き合うてみたら結構おもろい奴やしな。ほんで何でウチの団に入ったんやて聞いたら、何でも、宮本に好きなコおってな、そのコに、祭りに参加せぇへん男とは付き合われへんて言われたらしい」 わたしは背中に冷汗が流れるのを感じる。 「朝子とちゃうんか? そんなこというたのん」 「ウチがそんなこというわけないやん! 」 朝子は必死に否定する。 「ほな、智恵美か? 」 わたしはおおげさに首を横に振る。 「何はともあれ、あいつも宮本の青年団員や。同じ釜のメシ喰た仲ていうんか。毎晩顔付き合わせて何やかんやいうてたら、情も移るわ」 わたしは何も言えなかった。 滝田は本当に真剣なんだ。わたしのために慣れない世界でもがいている。 (アホやなぁ、ほんま、男てアホばっかしや) そして一番愚かなのは他でもないこのわたしだ。 わたしは焦る。祭りが終わって、もし、滝田が同じセリフを吐けばどんな顔をして断ればいいというのだろう。 わたしはストローをくわえ、氷が溶けて薄くなったコーラを飲んだ。炭酸の泡が喉を通り抜ける。胃の中が少し熱くなった。
どうすることもできずに日々は流れ、九月の十三日がやってきた。この日は二回目の試験曳きが行われる。 祭りと言えども高校は休みにならない。旧市内の小中学校は十四日だけ休校になる。 その日、滝田は欠席した。寺西は確か姿を見かけた。 「エー、あいつ、もう行ってんのかな」 さすがの寺西も驚きの声を上げる。 寺西は午後から抜ける予定だと言った。試験曳きは二時から、十分間に合う。しかし、いろんな準備で幹部連中は朝から用意を始めるらしい。 「来れるもんは朝から来てくれて言うてたけど、まさか…」 午後からの授業はわたしもエスケープする予定だった。本意ではないが朝子の執拗な誘いに負けてしまった。四時間目の授業が終わると、わたしたちは塀を乗り越えて学校を抜け出た。二人の自転車は近くに放置してある。わたしは焦りを覚えながらだんぢり小屋へと自転車を急がせる。 飾り付けを終え、だんぢりは今や遅しと出番を待っていた。着替えに帰っているのか、昼食に出ているのか、青年団他、男たちの姿は見えない。太鼓をたたいているのも小学生らしき子供達だ。 そんな中にわたしは腕を組んでだんぢりを見上げている滝田を見つけた。 「滝田君!」 わたしは思わず声をかけてしまった。 「高橋さん…」 滝田はわたしを見て動揺を隠しきれない様子だった。 「何やってんのん? 学校にも来んと」 「何て、準備。青年団は朝の九時に集合やから」 「寺西は来とったよ」 「あ、あいつ、見えへんと思たら」 寺西をあいつ呼ばわりできる。そして、メガネの向こうの目は溌剌とした光を放っている。 「まあ、エエわ、あいつは町内やけど、ボクは町外やから」 「そんなん、関係あんのん」 「あるよ、やっぱり、このだんぢり曳かしてもらうんやさかい」 「そこまで謙虚になって、そこまで卑屈になって、何で祭りに参加すんのん?」 わたしは滝田の答えが恐かった。もしもわたしのためだと言ったら何と答えればいいんだろう。あれはウソだとはっきり言えるのか。嘲り笑い飛ばすことができるのだろうか。 「そやなぁ、最初は違たけど、祭りて、何て言うんかな、オリンピックやないけど、参加することに意義があるみたいな」 わたしは予想外の答えに面食らってしまう。 「見てみ、いや、小さい時から大好きやった高橋さんには失礼やけど、ボクな、だんぢりってこんなにきれいなもんとは思てなかったんや。みんな、わざとぶつけたり、乱暴に扱こうてるてばっかり思てたんや。そやけどな、みんな、ごっついだんぢりのこと大事にしてる。だんぢりのこと大好きなんや。一億円するんやてな、今、造ろと思たら。それに、宮本のだんぢりで大正十年の作やてな。そやのにこんなにきれいや。彫りもんの一個一個が今にも動き出しそうや。芸術品やで、そう思えへん? ほんで、これが、この大っきいのんが動くんやで。走り回るんやで。みんなと毎晩話ししてたらボク、感動したんや。だんぢりの話になったら、みんな熱っぽい目で何時間でも話し続けるんや。ボクもこうやって見上げててその気持ち分かったわ。みんな一生懸命になって、みんな力合わせて、家族同然になって初めてこのだんぢりが動くんや。ボクは今年初めてそんなみんなの中に入ったんや。一生懸命、早よみんなに追いつくように頑張らんと」 滝田は饒舌だった。わたしは彼の声をこんなに長く耳にした記憶がない。滝田はうっとりとした表情で照り返す太陽と、雲一つない青空に聳えるだんぢりを見上げていた。わたしはそんな滝田に何かを言える資格がなかった。
十三日の試験曳きは滞りなく終わった。けれどそれは、宮本町に限ったことで、浜地区のとある町が転倒し、何人かのケガ人が出たらしい。しかし、いずれも軽症で大した話題には上らなかった。ここ何年か死亡者が続出した事があった。過去を振り返ると数十人の 犠牲者を数えるという。それでも祭りは続いている。岸和田の男たちを魅了してやまない。 そして、とうとう十四日が訪れた。 早朝五時。昨日とは打って変わって今にも泣き出しそうな曇天。夜明け前は季節どおりに空気が冷え込んでいる。 わたしと朝子は眠い目をこすって駅前に陣取っていた。 どこから湧いて出てくるのかかなりの見物人。人が集中するのは、この駅前と通称カイゲン・コカド角、そして、カンカン場。それ以外の場所にも見物人はたむろしている。後日の発表によると二日間での人出は五十万人。朝子のぼやく理由もよく分かる。 この場所に到着する前に駅前通りに並ぶ三台のだんぢりを見物して来た。浜側から五軒屋町、筋海町、そして宮本町。商店街にあるスーパー前に据えられた宮本のだんぢりは、まだ、鳴物の笛太鼓は鳴らされず、周囲もひっそりと静まり返っている。 「寺西」 わたしは祭り衣装に身を固め、眠そうにしゃがんでいる寺西に声をかけた。 「おう」 「徹夜? 」 「そうや、新団は寝ずの番や」 「ほな、滝田君も」 「そうや」 寺西があごで方向を示す。そこにはやはり、黒地に朱で『宮本』と染め抜かれたハッピを着て、地面に転がっている滝田がいた。 「大丈夫? あのコ」 朝子が聞く。 「大丈夫、宮本の青年団、なめたらアカンで」 寺西は滝田の側に寄る。 「滝田、起きいよ! 」 しかし、滝田は目を覚まさない。 「エエやん、まだ時間あるんやろ」 わたしは寺西を止めた。 「滝田君に言うといて、頑張りなって」 寺西はボケた表情でうなずいた。 (滝田、頑張りや) わたしはもう一度、腕枕をして転がっている滝田に心の中でつぶやいたのだった。
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