 |
|
| |
「泉佐野市上町界隈」 |
Vol.10 |
| 歯 黒 猛 夫 |
| |
ウチの兄貴はミナミの割烹で板前の修業をしていた。
今からおよそ17年前、80年代初めのころの話だ。
夜遅い仕事なので、普段は店の寮で寝泊りしていたが、土曜日の夜には岸和田に帰ってくる。しかし、終電はとっくに終わっているので、免許を取り立ての僕はよく迎えに行かされた。待ち合わせはアメリカ村の喫茶店。汚いビルの地下にある、当時流行ったロフト風インテリアの店。コンクリート打ちっぱなしの壁に、ダクトが剥き出し。テレビのモニターからは「BEST HIT USA」が流れていて、小林克也が「R&R(ラジオ&レコーズ)」のヒットチャートを紹介していた。
同じころ。
僕は当時仲の好かった女の子に誘われて、泉佐野にある「漫画屋」に行った。裏通りの路地裏にある、古臭い、胡散臭いビルの地下にある店は、その名の通り、コミックが棚にズラーと並べられ、僕たち二人は公園のベンチみたいな椅子に座り、生ビールのジョッキを前に、黙々とマンガ本を読んでいた。そのとき店の中で聞こえた会話に「チェッカーズがな、流行る前からなぁ、俺はあんな髪型してたんや」と前髪を奇妙に伸ばして垂らした、フミヤには似ても似つかぬ誰かが言っていた。
あのころのアメリカ村は今のように、おしゃれな町じゃなかった。確かに、流行に敏感な連中にはウケていたが、近くにはソープもあったし、倉庫もあったし、普通の会社の事務所もあった。三角公園は雑草の茂る地面の上に錆びたブランコのある普通の公園だったし、普通に住んでる普通のオバチャンやオッチャンの姿もあった。
僕たちはアメリカ村をアメ村とは呼ばない。単にムラと呼んでいた。僕たち以上の年代になると、そのものずばり「堀江」と呼ぶ。繁華街から離れたあの地域。家賃が安いので金の無い若いオーナーたちがサーフショップやカフェ・バー(死語?)を開いたのがムラの始まりだ。
同じような気分を泉佐野の上町、ファーストホテルのある辺りに行くと感じる。
僕が彼女と漫画屋に行ったころはスナックとかクラブとかが立ち並ぶ(たしかロンドンが有ったなぁ)、ちょっと危ないエリアだったが、今では古着屋とかが軒を並べている。古臭い、小汚いビルがごちゃごちゃ多いのは今も変らないけれど、よく探せば、おしゃれなレストランやバーが有ったりもする。家賃が安くて、金が無くても店が出しやすいのかどうかは知らないけれど、オーナー連中の年齢層は低いんじゃないかな。事実、岸和田からの移転組も多い。泉州版アメリカ村?もっと違った名前を付けて、アピールすれば面白いエリアになりそうな気がする。
そんな場所が、他にも無いんだろうか。町並みはチープだけれど、夢と新しいものが充満している場所。人が寄り集まって街に仕上げていく過程が見える所。大金をはたいて、形ばかりのアウトレットやショッピングモールを作るより、こういう所でがんばる連中を応援した方が、絶対面白くて発展につながると思うんだけど?
兄貴を待っていた店の名前は忘れてしまった。飲んでいたのはなぜか、いつもドクターペッパーだった。漫画屋に一緒に行った女の子とは、そのしばらくいろいろあって、いつのまにか会わなくなってしまった。
17年の歳月は僕を大人に変えたんだろうか。街を楽しむより街を見てしまう。小林克也の軽快な語り口と「BEST HIT USA」のイントロが妙に懐かしい。 |
|