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「レクイエム・岸和田市立中央小学校ブラスバンド部」 |
Vol.1 |
| 歯 黒 猛 夫 |
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岸和田旧市の4小学校(中央、浜、城内、朝陽)が来年2月に創立百周年を迎える(東光は?)。しかし、明治時代、学制が布かれたのが1872年、小・中学校令が1886年だから、この時期に100周年というのはおかしい。「それまで岸和田には小学校がなかったのか? 」ということになる。まあ、それには色々わけがあって、詳しいことは自分で調べてください(ちなみに、昭和初期まで城内小学校は今の図書館のところにあって、南町は浜小学校、中町は中央小学校、宮本町は城内小学校だった)。
僕が小学生のころ、中央小学校にはブラスバンド部があった。当時、中央のブラスバンドは有名で、お城祭りのパレードはもちろん、万博の開会式、卸売り団地の開会式典など、華やかな場面には引っ張りだこ。鼓笛隊というような代物ではなく、楽器もテクニックもきちんとした吹奏楽を奏でていた。中央のブラバン、城内のオーケストラ、東光のコーラス部といえば大阪府下でも名の知れた優秀な音楽部だった。
僕はそんなクラブの小太鼓を担当していた。厳しい福田先生の元、部員は毎朝、放課後、土曜日の午後と練習を繰り返し、学校の式典や市のイベントには必ず駆り出され、市民会館はもはやホームグラウンド、音楽コンクールで厚生年金会館の大ホールに立ったこともある。
ブラスバンド部に入るのは五年生から。しかし、なぜかドラム・パーカッション担当に六年生はいなかった。メンバーは3人。シンバルが一人に、大太鼓が一人、小太鼓が一人。シンバルは五軒屋町のEくんが担当し、大太鼓は堺町のHくんだった。Eくんはどちらかというとおとなしいタイプで僕はまじめタイプ、Hくんはやんちゃタイプで3人が3人とも性格が違っていた。けれど、何だってそうなんだろうけど、コンビを組めば性格はどうあれ、気心は知れてくるもの。特に、ドラムといえばリズムの要。狂えば、全員のまとまりがなくなってしまう。それに、小太鼓、大太鼓、シンバルは別々でいて連携しなくてはいけない。祭りの鳴り物がそうだし、いわば、ドラムセットを3人で叩くようなものだ。だから、日を重ねるごとに3人は仲良くなった。
六年生になって、各パート(トランペットとかトロンボーンとかクラリネットとか)ごとにリーダーを決めるとき、ドラムは僕が選ばれた。そのときは最初三人だったドラムも、後発に入部した同級生が三人、後輩が四人いたから10人の大所帯。そのトップに僕が選ばれたわけだ。パートメンバーの名札の一番上に僕の名札がぶら下げられた。それを見てHくんは少し悔しそうに「タケちゃんか、がんばれよ」と言ったのを覚えている。
それでも彼は、その後も何ら変わることなく僕に接してくれた。僕が刻む小太鼓のリズムに、大きく太い合いの手を的確に与えてくれた。僕は一組、Hくんは二組。クラスは違えども、練習やコンサートのときは互いの呼吸を感じながら、演奏を仕上げていった。
けれど、中学生になった僕たちは一緒に過ごす時間もなくなり、互いの世界の中で生きていくようになった。
そんなブラスバンド部も今はない。中央小学校だって、児童の減少で廃校の危機にある(福田先生はご健勝なのだろうか)。そして、今年の2月、Hくんも他界した。
堺町の会館で見た彼の遺影は小学校のときと全く同じ笑顔だった。 |
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