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龍谷山水間寺は、人皇四十五代聖武天皇の勅願所であって行基大僧正の開創であります。
御本尊は身の丈一寸八分の聖観世音菩薩で、天平十六年時の帝聖武天皇四十二歳の御時、二月初午の夜、都奈良の西南に当たって、病災消除(厄除)の霊像出現の御霊告により、行基大僧正にこのよしを勅し給うたのであります。
行基大僧正は勅命を奉じて西南の方この霊域を捜し求めて来訪され瀧の辺で白髪の仙人にお会いになりましたが、其の仙人は大僧正に聖観世音の尊像を永遠に奉護し給えと言い畢るや、自ら右臂を咬み切り巖石の上に置かれたのですが置くや忽変して龍の臂となり亦白髪の仙人も不思議や龍の化身滝つぼの中に投ぜられたのであります。
この龍の右臂は今も寺宝として伝えられております。
大僧正は霊像の出現を歓喜して奉護し直に上聞を遂げこの地に伽藍を創立されたのでありまして代々天皇の御宗敬深い寺でありましたが、天正十三年豊臣秀吉が根来寺攻略の際其の臣堀秀政の軍勢によって火をかけられ七重伽藍を初め坊舎等火焔に包まれて灰燼に期してしまったのであります。
その後徳川時代(文政十年)に岸和田城主岡部美濃守はこの名刹水間寺が空しく滅び去るのを惜しんで堂字を建立し昔日の俤には至りませんが本堂乃三重の塔が再建せられ水間川の清き流れの川畔に其の姿を映し春は桜花に秋は紅葉、
ことに秋の味覚の王者みかん狩をかねて参拝客と四季を通じてにぎわい、香煙たゆることなく現在に至っております。
(水間寺略記より) |
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