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家原寺略縁起
奈良時代の名僧行基は,畿内で伝道と社会事業を推し進め,農業生産を高め,人々から「菩薩」と呼ばれていた。
彼は一生の間に49の寺院を建てた。
そのはじめは、慶雲元年(704)自分の生家を寺としたのがこの家原寺である。
当初は実家を改造した程度の寺であったが、天平2年(730)頃には立派な伽藍となったらしい。
1966年(昭和41年)には高野山真言宗別格本山となっている。
本堂の前面に池を配した、いわゆる臨池伽藍となったのは平安時代以降と考えられ、現在この境内は大阪府指定の文化財とされている。
行基が灌漑利水の施設を多く作り、農業生産の向上を指導したことなど、その出身と事業を描いた家原寺所蔵の「行基菩薩行状絵伝」三幅は、国の重要文化財に指定されている。
当寺の本尊は、文殊菩薩で左右に釈迦・普賢をまつり、特に本寺は「家原の文殊さん」と親しまれ、受験生がその願いを本堂に書くことから「落書寺」として知られていたが、現在は祈願を書いたハンカチを本堂に貼り付けている。
また毎年,1月15日に行われる左義長まつりは「家原のとんど」として知られている。 |
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