|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
泉大津市 豊中町
|
|
|
|
 |
|
|
|
| 購入年月日 |
昭和七年拾月四日新調購入 |
| 購入代金 |
弐千伍百円 |
| 諸々代金 |
弐百弐拾円(大小太鼓、鉦、地車飾物、含大工祝儀) |
| 大工棟梁 |
植山 宗一郎「大宗」 同、義正「初代大義」 |
| 彫物責任者 |
田沼 征信(源治)「関東彫 一元林峯 門下」 |
| 脇彫物者 |
木下 舜次郎、松田 正幸「三代目 黒田正勝 門下」
吉岡 義峰「京彫」(見送り内 馬乗り) 同、喜代志
|
|
|
|
|
|
地車購入の経緯
| 昭和3年、池浦が地車を新調購入(池浦先代地車、現東大阪市本庄地車)した事に影響を受け、又当時より板原は、下地車を所有(現堺市白木町地車)していた事もあり、当町も購入の機運が高まり昭和6年、再三の寄合い協議の末購入を決定する。 |
購入の役員は、区長をはじめ13名が選出される。
|
当初新調ではなく、13名を5組に分け中古の地車を各方面に探しに行く。そして、堀場作松氏を始めとする一組が、岸和田の地車大工「植山」(現植山工務店)に於いて作業途中の二台の仕入地車を探し当てる。
その夜、早速13名による緊急協議が、上田政吉氏宅でとりおこなわれた。
|
明けて七年三月、再三の協議の末、町内の寄付金の状況、曳行条件(当時、地車小屋は、中小路・浄福寺前にあり村中を通さなければならなかった。)その他、諸々の事情に依り、弐千五百円の地車を購入する事を決定。
晴れて、昭和七年六月一日、正式に地車大工(植山宗一郎氏)と契約に至った。(なお、もう一方の地車は、吉田氏が中心となり泉大津市板原が購入する事となる。)
|
| 旧地車は、堺市大庭寺に売却(売却金額:諸々一式付、金参百円也)。 |
|
|
|
彫物詳細
|
大屋根枡合
|
正面
|
賤ヶ岳合戦 |
|
右
|
佐久間玄馬允盛政・秀吉本陣単騎乱入 |
|
左
|
孤軍奮闘する柴田勝政 |
|
後面
|
秀吉本陣 |
|
小屋根枡合
|
正面
|
牛若丸弁慶・京都五条大橋乃出合 |
|
右
|
武蔵坊弁慶乃勇姿 |
|
左
|
源八郎為朝乃勇力 |
|
番号持
|
布袋神 |
|
勾欄合
|
唐人ニ十四孝 |
|
松良
|
源平盛衰記 |
|
右
|
大江山・酒呑童子及び頼光四天王の木渡り |
|
左
|
安宅の関・富樫左衛門眼前で弁慶義経懲打 |
|
縁葛
|
太閤記 |
|
正面
|
日吉丸小六・矢作橋の出合 |
|
右
|
尼ヶ崎危難・秀吉味噌練り坊主姿に変し難を逃れる |
|
左
|
秀吉桃山御殿・石川五右衞門召捕り |
|
大連子
|
太閤記 |
|
正面
|
|
|
右
|
後藤又兵衛基次乃跳槍(難波戦記) |
|
左
|
加藤清正・新納武蔵守血戦(九州征伐) |
|
小連子
|
忠臣蔵 |
|
正面
|
両国橋引上・内蔵之助を遮る江戸町奉行服部彦七 |
|
右
|
吉良邸内・剣客清水一学奮戦 |
|
左
|
吉良邸内・吉報を待つ大石内蔵之助良雄 |
|
土呂幕
|
難波戦記 |
|
正面
|
徳川本陣単騎討ち入る薄田隼人正兼相 |
|
右
|
後藤又兵衛基次勇戦 |
|
左
|
塙団右衛門直之勇戦 |
|
見送り
|
難波戦記 |
|
大脇
|
同上 |
|
脇障子
|
同上 |
|
|
|
|
|
|
写真・資料提供:泉大津市 上田氏
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|
|